出口の見えないトンネルを抜け出して。伝えたい気持ち
はじめまして!百茶パパです。
僕はいま、理学療法士をしながら妻と0歳の男の子を育児するどこにでもいる普通の父親です。
もともと文章のスキルも影響力もない僕が、なぜ今ブログを書いているのか?
それには理由があります。
妊活・不妊治療で日々辛い思いをしている夫婦を応援したい。
妊娠中に感じる不安や喜びを少しでも共有したい。
そんな思いから、夫目線での妊活や妊娠について発信することにしました。
目次
このブログで伝えたいこと
- 妊活・不妊治療をする中で誰しもがぶつかるであろう悩みや不安、解決法で共有できること
- 妊活をしていく中で得た知識や買ったもの、取り組みで共有できること
- 妊娠~出産にかけての悩みや経験
子どもができるのは当たり前だと思っていた
僕たち夫婦は30代中盤にさしかかる頃、妊活・不妊治療を開始しました。
「30代に入ったけど、まあすぐにできるやろ」
「もう少し夫婦2人の時間を過ごしからでもいいんじゃない?」
最初はこれくらいの認識でした。
学校を卒業したら就職して、ある程度の年齢になったら結婚して、
そのまま子供を2人くらい作って、夢のマイホームを建てる。
だれもが当たり前のように子供の時代から抱いていた人生設計。
でもそれは当たり前ではありませんでした。
子どもができるのは当たり前ではなかったのです。
結局、妊活を開始した2019年7月から妊娠するまでには2年半かかりました。
不妊外来への通院開始~化学流産
夫婦でタイミングをとりだしてから4カ月。
まったく妊娠する気配はありませんでした。
ここで最初の決断。2019年10月。
このまま自己流でタイミングをとり続けるか、
不妊外来にいくか。
もっと年齢が若ければ、そうでなくとも普通であれば半年~1年くらいは自己流で頑張るかもしれません。
しかし我が家では、過去に妻が卵巣嚢腫の手術をしていたり、生理痛がめちゃくちゃ強かったりと、
どこか妊娠しにくいんじゃないかと感じていました。
そこで僕たち夫婦は不妊外来に通うという選択をしました。
今から思うと、この選択は本当に良かったと思います。
自分たちの身体の状態をできるだけ早くに知って、原因があるなら治療したり、予防していくという対策が立てられるからです。
結果的に妊娠までの期間を早くできたと感じています。
とはいっても妊娠するまで2年半、いろいろありました。
不妊外来での検査に始まり、タイミング法を7カ月実施。
次から人工授精にステップアップしようとクリニックの先生と相談していた矢先、
妊娠検査薬で陽性!
しかし喜んだのつかぬ間、妊娠5週になっても6週になっても胎嚢は見えず、
結局、流産(この時期は化学流産と言います)
「合格通知が届いた後に実は手違いで不合格でした」みたいな、
幸せの絶頂から真っ逆さまに落とされる経験をはじめてしました。
人工授精へステップアップ~2度の流産
年齢的にも、気持ち的にも早く子どもを授かりたい。
少しでも妊娠確率が上がるならと、僕たちは人工授精へステップアップしました。
人工授精という名前からか、この時からすごく高度な医学的治療をうけている感を感じました。
排卵された卵の近くに人為的に精子を届ける。
素人が聞いてもなんだかすごく妊娠しやすそう。
「これは期待できる! いける!」
そう思いました。
しかし、結果は5カ月にわたり5回連続で実施してもかすりもしない。
妊娠検査薬に合格ラインがひかれることはなく、残念な結果でした。
ここで第2の決断。2021年3月。
妊娠できないこととは別にクリニックの先生に不信感を抱いていた僕たち夫婦は、
不妊外来に通うのをやめることにしました。
この時は心身ともに疲れてしまっていて、もうこれから先すっと通うつもりはないくらいに思っていました。
不妊治療をやめて気が楽になったのか、翌月の自己流のタイミングでまさかの妊娠。
「そんな頑張ってないのに合格できた!」
ほんとそれくらい予期せぬ妊娠でした。
妊娠5週、はじめての胎嚢確認
妊娠7週、ドキドキの心拍確認
妊娠8週、はじめての母子手帳
妊娠9週、心拍停止
…..
…..
初期流産でした。
目の前の景色が昨日と違う
変わらず流れていく世界に取り残されていく感覚。
幸せの絶頂から真っ逆さまに落とされる。
1度目の苦い経験を忘れたころにまたやってきた悲しい現実。
そこからは掻爬術(そうはじゅつと読みます)という手術を行い、術後の経過でタイミングをとるのはしばらくお預けとなりました。
心身ともに結構やられていた僕たち夫婦にとってはその休止期間がありがたかったように感じます。
しばらくはキャンプや釣り、神社巡りなどアウトドアで心のリフレッシュをしました。
流産したことの心の傷が少し癒えた2021年8月。
2回目の妊娠。
しかしこの2回目の妊娠の時はうれしさや期待を表に出せなくなっていました。
またダメだった時のショックを心が感じないための防衛反応だったと思います。
できるだけ平常心を保つ。
意識しているわけではないけどそうなってしまう。
心が少し麻痺していたのかもしれません。
その心の動きを感じ取ったのか、
結局その2回目の妊娠も胎嚢までは確認されましたが、そこから成長することはありませんでした。
2回目の流産でした。
体外受精へステップアップ~妊娠・出産
化学流産を合わせると3回の流産を経験した僕たち夫婦。
こころは完全に折れかけていました。
「もうあきらめて二人だけで過ごしていくか」
「ここまできたんやったら最後に1回だけ体外受精に挑戦するか」
その2つの選択肢の狭間で意見はぶつかりあい、気持ちが定まることのないまま、
時間だけが過ぎていました。
ここで第3の決断。2021年10月。
僕たちは最後のチャンスにかけることにしました。
体外受精へのステップアップ。
詳しいことはまたブログで書きたいと思っていますが、
結果的にこの選択の結果、2022年1月に妊娠することができ、
無事2022年10月に元気な男の子を授かることができました。
おわりに
ここまでプロフィールを読んでいただきありがとうございました。
この2年半の経過のなかでは、まだまだ書ききれないことがたくさんあります。
子どもを授かるために必死だったぶん、いままで知らなかった知識や経験もたくさん得ることができました。
今となってはかけがえのない経験・知識となったこの妊活・妊娠経過をこのブログで発信し、少しでも同じ境遇の方々の力になれれば幸いです。
2023年9月 百茶