予定日超過の出産、先生のエルボー、その時、頭が出てきた
タイトルだけを見ると何のこっちゃと言われそうですね。
我が子は外の世界に出てくるまでとにかくのんびり屋さんでした。
もしかしたら早くに産まれるかもしれないと、出産予定日の2週間前からそわそわしていましたが、結局予定日より1週間遅く出てきました。
人生でこんなにも、そわそわした3週間はなかったかもしれません。
そして出産当日、立ち会い出産にて、
先生のエルボーとそれに続いて頭が出てきた瞬間の光景は一生忘れることはないでしょう。
今日はそんなお話です。
妊娠38週、胎動の位置が少し下がってきた
臨月に突入し、いよいよ出産予定日まであと2週間となってきた頃、胎動の位置が少し下がってきました。
今まではお臍より少し上の位置でムニムニドンドンしていた我が子。
この頃になると僕自身も、おなかの表面を少し触るだけで胎動がわかるようになっていました。
しかし、38週を超えたあたりから明らかに胎動が臍より下に下がってきました。
これはもしや頭が降りてきているか?
この調子だと予定日より早くに産まれてくるんじゃないか?
と我が子と早く会えるという期待に胸が膨らみました。
いつ産まれるかわからない出産、ぼくは遅くに産まれても対応しやすいように予定日より12日ほど後に育休開始日を設定していました。
「これは育休開始をだいぶ早めてもらうように調整しなおさないといけないかな」
と考えていたのを覚えています。
妊娠39週、頭が全く降りてきてない
妊娠39週、予定日より前の最後の検診。
内診にて頭が全く降りてきてないと言われてしまいました。
しかもこの感じだと予定日を超えるだろうとの予言。
「先生、その予言、ちゃんと当たってました!」
先週の胎動の位置が下がってきてたのは何だったんだ?
めちゃくちゃ手を下に伸ばして叩いていたのか?と妻とは笑っていましたが、内心は少し心配になっていました。
臨月になると個人差はあれど、赤ちゃんの頭が出産に備えて骨盤にスポッとはまってきます。
それによっておなかが少し下がってきたり、圧迫されていた胸が楽になり食が進んだりとあるようですが、我が子はまだ骨盤に全くはまっていない状態でした。
妊娠40週、予定日超過後の経過
出産予定日の40週0日は予想通り何ごともなく経過しました。
40週1日、予定日超過後初の検診にてNST検査。
すやすやと寝ているのか心拍は安定、頭は全く降りてきていないとのことでした。
本当に、のんびり屋さんでマイペースな我が子、余程おなかの中が心地よいのか、まだまだ出てくる気配がありません。
40週4日、予定日超過後2回目の検診にてNST検査。
元気に動いているのか心拍数が上下に揺らいでいるとのこと。
先生が内診すると、頭はかろうじて指先が当たる程度とのことで、まだまだ降りてきてないとのことでした。
これはもしや、最悪帝王切開になるのではないか?
それはできれば避けたい、早く出てきておくれ!祈る毎日でした。
40週6日、40週最後のこの日、少し出血がありました。
今から思うとこれが「おしるし」だったのかもしれません。
ぼくはこの日仕事で出勤していたのですが、妻の前駆陣痛が今までで一番強いとの連絡を受け、上司に相談し帰宅しました。
そのまま妻と産院へ行き診察。
まだ頭があまり降りてきてないとのことでしたが、先生の経験からくる勘なのかは分かりませんが、そのまま入院することになりました。(後から考えるとこの時入院しといて本当に良かったです)
妊娠41週0日、ついに出産のときを迎える
入院日の診察までは前駆陣痛と言えど妻にはまだまだ余裕がありました。
その様子から僕は、まだ入院は早いんじゃないか?とも思いましたが、そんな意見を言えるわけもなく必要な着替えや飲み物などの荷物を病室において、いったん自宅へ帰りました。(最近はコロナの影響もあり一緒に泊まるということが制限されているみたいですね)
しかし、夜の夕食後くらいから急に陣痛が強くなってきたと妻からがLINEがきました。
実際に一緒に病室にいたわけではないので、あとから聞いた話でしか分かりませんが、この時点で腰が割れるような痛みがあり、ほとんど歩けない状態だったようです。
もしあのまま入院していなかったらと思うと、本当に先生の判断はよかったなと思います。
翌朝、41週0日。
僕が朝目覚めると、一通のLINEが入っていました。
「子宮口が5cmあいてきてる、病院へ来て」とのこと。
僕は急いで病院へ向かいました。
着いたのは午前中でしたが、この時点ではまだ陣痛の間隔が長く、子宮口も6cmほどになっていたそうですが、まだ頭は降りてきていないとのことでした。
ここにきてまだ頭降りてこーへんのかい!と思いましたが、それを決めるのは我が子。
僕が慌てても仕方ありません。
午後13時、先生の診察にて子宮口8cm、しかしまだ頭はそこまで降りてきてないとのことで、緊張をとる薬?と促進剤を入れてくれました。
これで降りてこなければ帝王切開とのニュアンスで話されていたのを覚えています。
しかしこの点滴がよかったのか、ここからがドタバタでした。
14時以降から徐々に陣痛が強くなり、間隔も短くなってきました。
ベッド上で座ったまま冷や汗を流しながら動けなくなった妻。
夫の僕はというと背中をさするくらいしかできませんでした。
よくテレビドラマなんかで看護師や医師に囲まれながら息も絶え絶えに出産するシーンは見たことがありますが、分娩室に至るまでの過程は想像がつかなったので、もう夫に出来ることと言えばさすることと、声掛けをするくらいになるんですよね。
17:30、分娩室に妻が運ばれ、僕は立ち会い出産に備えて横の待機部屋のようなところで待っていました。
隣の部屋では妻が痛みに耐えながら頑張っている、そしてそれをサポートするために助産師や医師が連携プレーで対応している。
まさにアドレナリン噴出の戦場さながらのようなもの。
壁1枚隔てた隣の部屋では、静寂な空間にポツンと1人、まるで別世界に置いてけぼりにされたように座る男性。
そう僕です。
静寂な空間とは裏腹に僕はすごく緊張していました。
不妊治療を始めてから約3年、今まさに待望の我が子と対面できるという期待と無事に生まれてきてくれるかという不安が入り交じる中、なかなか呼ばれないことにじれったさも感じていました。
17時45分をまわった頃、ついに助産師さんに中に入るよう呼ばれました。
中に入ると、妻は分娩台の上で脚を広げた状態で寝ていました。ちょうどいきみといきみの合間の時間というような状態でした。
ここから出産まではおよそ15分くらいだったと思います。
しかし、一番大事なこの15分が、今となってはどうしても思い出せないのです。
いきなり戦場に放り込まれた初出兵の兵士のように場の臨場感に飲まれながら、とにかく助産師さんに言われるがまま、妻の手を握ったり、何やら声をかけていたとは思いますが詳細な映像が思い出せません。きっと冷静なふりして冷静ではなかったんでしょう。
この15分間の記憶は一気に出産直前までスリップします。
そう、先生が踏み台のようなものに乗り、肘を妻のおなかに当てている映像です。
ちょうぞ、レスラーが相手にエルボーを喰らわすような、ふざけて友達に肘鉄を喰らわすような絵面です。
これがタイトルの意味です。(笑)
この体勢から妻のおなかをすごい力で押さえつけること数回。
妻のお股から頭のようなものが出てきたと思った瞬間、先生が両手でニュルっっとそれを天高く持ち上げました。
それが僕の見た初めての我が子です。
次の瞬間には元気に我が子は泣いていました。
出産の瞬間は絶対になくと思っていましたが、はじめてのこの貴重な出産の立ち会いは色々衝撃すぎて変に感情が高まり僕は泣けませんでした。
とりあえず、妻よ、
ほんとうにお疲れ様でした。
そして元気な赤ちゃんを産んでくれて本当にありがとう。
これからもよろしくお願いします。
おわり